Nagizuburogu |
This is Nagi's blog, from Japan. Me: Female/22/Sociology |
ももいろクローバー『労働讃歌』ライブ!
「女の軍隊」の表象、日韓米比較 ③日本
③AKB48「River」
まず軍隊といっても、その表象がはっきりと「自衛隊であること」が特徴的だな!
AKBは何かと戦っている訳ではない。よもや男性に対する挑発も皆無。
自衛隊というホモソーシャルの装置を、女性に置き換えたおもしろさを狙っているのみ。
導入の体ぱちぱち叩いてるダンスも、NZのマオリ族のダンス、ハカ要素を入れているみたいだし、River全体を通したテーマはマチズモなのかな。
でそのストーリーはいつも通り、百合社会で完結している。
女同士の闘い、憎しみあい、友情、助け合い、支え合い…
男性は徹底的にそれを「傍観」する位置しか与えられない。AKBのPVにおける「男性の排除」っていうのも、秋元さんの手のうちなのかな、百合ものとしての解釈の余地を与えているとか。
菊池さんが言うには、「AKBの編成そのものが軍隊」だという。投票による序列化、じゃんけん大会による決闘。それを男が投票によって支える、というジェンダー逆転の軍隊。むしろジェンダーすべてひっくり返さないと、軍隊を表象できないという。
確かにの!
そう言われてみると、確かに「軍隊」とか「戦闘」っていう概念を日本にいるとリアルに捉えられないかもしれない。
安室ちゃんのHide and Seek、これは女総統の軍隊モチーフだと思うんだけど、どうしても日本人の発想だとどことなくSMになってしまうという笑
バイクにまたがってみたり。鞭ふりまわしてみたり。男を椅子にして腰かけてみたり。
日本と韓国似てると思っていても、兵役で2年男が欠けるっていうのを体験する社会のセクシュアリティって絶対に違ってくるよな。いやぁ興味深い。
「女の軍隊」の表象、日韓米比較 ②韓国
②少女時代「Genie(願いを言ってみて)」
とりあえず踊っている時の、白い制服が空軍(パイロット)、緑の制服が陸軍をデフォルメしたものという前提で見てます。どちらにも、韓国の国旗がプリントされている。
ストーリーと歌詞から推察するに、男性の願い事を叶えてあげる、という大意が捉えられる。画面も男性の目線でフレームされていて、手をひっぱられたりネクタイをひっぱられたりしている。男性の願いがかなうハーレム的な。
でストーリーに軍隊はあまり関係ない。コスチュームだけなの。
このPV最初に見た時、なぜ軍服?と違和感があったんだけど、菊池ナル様が指摘するように、韓国には「徴兵」という価値観があるんだった!日本社会からほぼ完璧に欠落した概念。
だから、少女時代が軍服をデフォルメして着ているのとか、韓国社会に属する男性にとってはよっぽどたまらん感覚があるのだろうと思う。日本人が想起するそれより、もっときっと。
究極的には、Genieは「徴兵期間で女の欠如した社会に生きなければならないヘテロ男性にとってのファンタジー」と曲解しても、良いですか?!
韓国男性が全員通過する、ホモソーシャルな徴兵、という体験。
そこに差し込まれた、女で編成された軍隊、少女時代。この子達が、ハーレム状態で何でも願いを叶えてくれる訳か。
まあ古典的な、「欲望する男」に、「与えるアイドル」の構図、これが2009年の時点。
そして2011年現在:
少女時代「The Boys」アメリカデビュー曲。
菊池成孔は、3:37あたりからの転調を「軍隊」と解釈していて、これが韓国とアメリカ文化との接合点だと言っている。
前のエントリにも書いたが、The boysという楽曲はアメリカの大御所プロデューサーによるもので、アメリカ要素が詰まっているんだけど、歌詞もまあビヨンセ使用というか「私が一番ホットよ!」とか「ボーイズをbring out してあげるわ」的な上から目線で。
(実は韓国語の歌詞は、男性に対する「しっかりしなさいよ」的な激励ソングになっていて、若干毛色が違う。)
一つ前のエントリの、ビヨンセのあの男をけちょんけちょんにしているのがアメリカンビューティーだとすると、あの土壌で成功するには、少女時代はGenieから大きく舵を切ることが必要だよ そりゃそうだよ。
その賜物が、The Boysなのね。
アメリカ進出に向けて、メンバーの一人Tiffanyが「少女時代は9人のビヨンセになりたい」(出典: CNN)とはっきりと語っているように、アメリカに進出すると言う事は、まさにその通りの事を意味するのだね。
実際、少女時代が、国内韓国に向ける顔、日本に向ける顔、アメリカに向ける顔、かなり矛盾している。一貫性は、はっきりいって無い。マーケットに順応させるのが一貫性とは言えるけど。
The Boysではっきりとアメリカ路線を打ち出した少女時代、「日本はKpopにフラれた」と菊池さんは表現しました。
すっかりJ-pop化されたKARAというグループもいるんだけどね….
どのみち、K-popが日本に興味もってくれないと、フジテレビデモだって盛り上がらないんだからね。
「女の軍隊」の表象、日韓米比較 ①アメリカ
ラジオ「菊池成孔の粋な夜電波」でKpopの特集をやっていて、ビヨンセ、少女時代に共通する「軍隊」の表象について言及があった。
それがとても面白かったので、そこで紹介されていたPVをチェックチェーック!
①Beyonce 「Run the World」
ビヨンセwww
フェミがこれについて何を言うか、非常に聞いてみたい。
アメリカの事は詳しくないけど、この一つのPVにいろんな表象が…
軍隊、アフリカ性、非文明、動物性、キリスト、ナポレオンもあったな…
(このダンスは、アフリカ起源らしく、youtubeでビヨンセが偶然見つけて、是非PVにということでレッスンを受けたらしい。)
女の生身のセクシーパワーで、武装した男の軍隊を圧倒する、というストーリー。
歌詞は、「誰が世界を回してる?」「女だろ!」という自問自答の繰り返しがサビという強気さ。
日本では、強いてはアジアでは、とうてい出てこない映像表現だよね、ほんと。すごいですよ、ほんと、と、遠くから大人しく拍手を送るしかできないね。
にしても、アメリカの女性って、男にいったい何をされて来たのか…男を目の敵にして、徹底的に叩きつぶして、土下座させてやるという気概があるよね。(土下座しないけど)
この、女3人でダンスするだけ、っていうPVですら、何やら男への攻撃性がすごい。(歌詞はもうすこしマイルドで、「あんたが指輪くれなかったんだからもう好きにやるわよ」みたいな。)
こいういう、圧倒的にフェミニストなストーリ性を体現するのが、アメリカno.1女性アーティストだって考えると…理想的な女性像がビヨンセというアメリカ、本当に日本から遠い国だなあと思う。
「今、日本がいる所からは、遠い国」という意味で。
アメリカはフェミニズムの国。ほんとにそう。
日本まで伝播した恩恵も本当に多いけど、アメリカのこういう側面みると、フェミ起源に圧倒されるわ。これが支持を得る社会なんだもん。すごく違うよ。
そして、そのアメリカに進出せんとする韓国、少女時代の表象する女の軍隊を次のエントリで。
ナショナリズムは、いまや政治や国際関係のみを舞台にしてはいない。
それはポピュラーカルチャーの領域にまで、「降りて」きている。
いま、ナショナリズムはアイドルにもパッケージされる時代なのだ。

●50年代から70年代。
Americanizationが世界を圧巻する。
「アメリカ」は、自由と民主主義と富と先端技術の象徴。「アメリカ製品の消費」は、すなわちアメリカのイデオロギー、価値体系、イメージの好意的な受容だった。
横浜米軍キャンプの施設に出入りすることが特権だったような時代である。日本において、マクドナルドでバーガーを食べシェイクを飲むことは、アメリカの精神を受容することだった。アメリカ文化の広まりとその受容は、「アメリカ的である事」への欲望の反映だった。
●80年代から90年代。
Japanizationが囁かれはじめる。
ウォークマンを始めとしたSONY製品、日本車、そして漫画、アニメといった日本製品が世界に浸透し始めた時代。
しかしこれは、「アメリカ化」というイデオロギーが世界に浸透していったプロセスとは決定的に異なった。それは、これらの日本製品が徹底して「文化系に無臭」であったからだ(岩渕功一)。
ウォークマンを使うアメリカ人は、それによって日本を想起しない。ポケモンを観るアメリカの子どもは、それによって日本を想起しない。日本車に乗るアメリカ人は、それによって日本を想起しない。
「日本」という起源に気づかずして、日本製品を消費している状態。それが、「Japanization」だった。(逆に言うと、「日本」という顔のある商品である日本の芸能産業は、非アジア圏では消費されなかった。)
日本企業は、「日本臭さ」を商品から消すことにつとめた。「文化的に無臭である」ことは、すなわちグローバルな受容可能性を意味していたからだ。
●2000年代から現在にかけて。
日本の漫画、アニメなどのポップ文化が海外で静かなブームを巻き起こしているらしいことが、既成事実となる。
後を追うように、日本政府はポピュラーカルチャーの振興政策をとる。これが、「COOL JAPAN」である。
「COOLJAPAN」とは何か。
COOLJAPANとは、日本のポップカルチャー製品の輸出推進による経済政策にとどまらない。
究極的には日本の対外イメージ向上を図る、日本経済政策と文化政策の融合、すなわち「ソフトパワー論」と「イメージ政策」の実践なのだ。
経済産業省2003年度報告書「コンテンツ産業の国際展開と波及効果」に集録された、ある実験がある。
その実験とは、日本文化に接触程度の低い韓国学生を対象として、日本ポップスを一定期間試聴させた結果、対日歴史態度の軟化が証明されたというものだ(秋菊姫)。
すなわち、「日本のポップカルチャーへの接触は、(政治的な単位としての)「日本」への態度を親和的にさせる」という実験結果が出たのである。
必然的に、ポップカルチャーの推進によって日本の政治的立場を優勢にもちこむことができる、という国際政治のリアリズムに結論を結ぶはずである。
COOLJAPAN政策の報告書に、上のデータが盛り込まれていたという事実は、相当怖いことであると思う。個人的に。
簡単に言ってしまえばそれは、J-Popや日本アニメ漫画を外国に浸透させて、過去の歴史を赦してもらおう、それで仲よくやろう、ということでしょ。
ピカチュウと歴史は、別々に処理してください。発想が怖い。
そんな訳で、COOLJAPANの推進によって日本文化の表象の方法も、都会的でモダンなイメージから、伝統文化の表象に転換する。
従って、90年代のJapanizationのような積極的な「文化的無臭性」は放棄される。日本が自身の「クールさ」を発見した途端、ちりばめられるようになった日本伝統文化の記号は数しれない。和服、侍、桜、富士山、酒、日本刀、etc…
COOLJAPANを背負うアクターも続々登場する。サムライチャンプルー、ももいろクローバー、千と千尋の神隠し、ZAZENBOYS、NHK番組CoolJapan…
西洋からの眼差によって獲得された「セルフ・オリエンタリズム」を武器に、「西洋から見られたい日本」を自己演出する。COOLJAPANはそんな営みにも見える。
セルフ・オリエンタリズム含んでいないコンテンツでさえ、日本政府は海外の反応を反映させて、COOLJAPANの印を押すことに勤しんだ。
ハイカルチャーに従属する物されてきたサブカルチャーが、外国で評価された途端に「日本代表」みたいな地位を与えられて。市民レベルの文化的な営みを、せっせと「JAPAN」という国家枠組みに回収することが始まった。
私は、Perfumeやその他アイドルが、COOLJAPANの一部として国家によってナショナルを押し付けられている、という陰謀論を唱えているのではないです。
むしろアイドル産業自らが、もしくはアイドル達自らが、自律的にナショナルを背負いに行っているのが興味深い。
強制はされていない、けれど、進んで国家の一部に回収され、COOLJAPANに加担しにいく。規律権力どうもご苦労様です。
あえての日本臭を醸すプロダクトが、どんどん海外に出て行く。それは別に良い、でも、「JAPAN」をなす記号が、日本の何を代表しているのか、という問題には常に敏感でありたい。
アイヌは、琉球は、在日コリアンは、在日華人は?「JAPAN」というパッケージは、誰を代表=表象しているのか。同時に誰を排除しているのか。記号化、単純化、単一化される過程で、犠牲にしている多様性は何なのか。JAPAN is COOL!と沸き立つ一方で、傍観せざるをえない、日本の人は誰なのか。
結局わたしは政治的に正しいことしか言って無いんだけど、心象のレベルで言ってJAPANCOOLについてはどうもうさん臭さがある。
しかし、アイドル達がナショナリズムを背負って、それをネチズンが後押しする、このナショナリズムのソフトさ。これってちょっと今の時代を象徴するようだよね。
Perfumeと少女時代のyoutubeコメ欄を読んでみて下さいよ。
「やっぱりKpopよりPerfume」「Perfumeも海外進出して欲しい」的なコメントはザラ、そしてgoodを稼ぐコメントは、英語で書かれたもの=「海外からの高評価」コメ。
どうやら、日本=perfume、韓国=少女時代という表象で、あの言説は構成されているらしい。まるで韓国ー日本ー西洋の三つの世界しか無いみたい。
JAPANCOOLと嫌韓流って絶対に繋がってるだろう。
実は、日本のCOOLJAPAN政策の10年以上前に、韓国政府はコンテンツ産業への直接投資を推進してきたわけで、韓流というのも相当ナショナリスティックな営みであることは間違いない。
日本ネチズンの居住区と「ジャパン・クール」がパックされる領域(漫画、アニメ)は大幅にオーバーラップしてるから、日本ネチズンはナショナルな信条にさらわれやすいのは当然といっちゃ当然。その層が、韓流のコンテンツに嫌悪感を示すのも、論理的には全く矛盾のない反応。

だから、上の少女時代のCDジャケットが、日本への侵略という解釈をされたり。ユナの腰元の戦闘機が第2次世界大戦の日本海軍のゼロ戦闘機のトレースだという指摘があったり。ポップカルチャーのプロダクトを捕まえて、ナショナルな言説に還元して、陰謀説を唱えることがどんどん増えていくと思う。真意は知らん。けど、そういう態度がどんどん広まって行くと思う。
もはや、アイドルが「国代表」として表象され、日本頑張れ、韓国頑張れ、という次元になってきている。このナショルの単純化はちょっと怖い。

「8ヶ月たった今が一番辛いと思う。生活も落ち着いて、考える時間ができて。でもやることがなんも無くてさ。話すことが一番のリハビリ。ほんとに地獄みたいな体験したひともいるから。聞いてもらうだけでいいの。」
「こんなことがあって、世界中や日本中からいろんな人が来てくれて、あーありがたいなーって思うの。でもね、やっぱりここが、どんどん、忘れられていくのかなーって思うと寂しいねー。」
「俺なんか、半年は狂ったみたいに写真とりまくって。でもね、今8ヶ月たったでしょ。今、いちばん辛い。頭がいかれちまってんの。こういう皆あつまるとこでは、明るく振る舞うよ。でも、バイト中なんか、たった10分間ひとりになるでしょ、したら涙とまんないんだから。」
「テレビ観てね、同じような人みるでしょ。したら涙とまんねぇの。昔は我慢強かったんだよー。でも、ばあちゃんがこんなんじゃだめだね。親亡くした子どもなんかもいるんだから。こんなんで元気無くしてたら申し訳ないから。」
「孫が、怖い怖いってまだ泣くの。家流されるとこも、津波も全部見てるから。家のちょっと出たとこまで迎えにいくの。それが心配だね。」
「生き残らなきゃよかったって思うこともあるんだよ。生き残ったって、なぁんにもねぇんだから。」
「開きなおらなきゃやってけないでしょ。明るく。ここは本当に良い仮設。自治会がたったのも早いし、みーんな仲間。まぁー孫が十人もできたみたいで、賑やかでいいねー。楽しく生活してる。」
「これはね、つなみよー。なみがくるからね、おうちはうえにたてるのよー。そうするの。そしたら、こないでしょ?」
「俺はね、目立っこくしなきゃ駄目と思うの。助かったって仮設でなぁんも話さねぇ、外でねぇじゃ…津波きた時だって、目立っこくしてりゃぁ、隣のじいさんどうしたって、気にかけてくれんだから。だから俺はこんんな派手な格好してる訳。目立っこくすんの、仮設でも。いつも顔だして。」
「友達5人亡くしてるの。精神やられて、歩けなくなったのね。主人が船乗ってたから、まぁ見つからないけども、葬式海でやろうって。立てねぇから嫌だなぁって思ってたのが、葬式の朝よ、急に歩けるようになったんだよ。息子も喜んでさ。で、もっと頑張らなくちゃーって。」
「本当に良い避難所だったの。せまーい体育館にぎゅうぎゅうで、顔踏まれたりしてね。うちのとこは、ついたてを付けないようにしよう、って皆で決めてね。そしたら朝起きたとき、みーんなの顔が見わたせるでしょ。どのおばあちゃんが元気ないとかね。みーんな家族みたいだった。暴走族の子なんかもいたんだよ。そんな子にはね、皆すすんで声かけるの。よう!って。そしたら、だんだん打ち解けてくるのね。避難所解散するときなんか、一生懸命ぞうきんがけしたりして。今はばらばらになっちゃったけどねー本当に良い思い出。」
「ばらばらになった集落の人とかさ、私のいとことか、連絡とれねぇ、死んだかーって思ってる友達なんかを、仮設の集会場で見つけたりするわけ。すると、みんなで抱き合って、きゃぁぁぁ!って言うんだよ。ほんっとに嬉しいんだ。おかしいでしょ、おばあちゃんが集まってねえ。」

前に住んでいた家の台所で、祖母が料理を作っている
それが珍しい光景なので、つまり母が家をあける正式な理由があるときにしか起こらないことだから、親類の葬式とか何かあったかなと頭に浮かんだ
祖母のとこに行って、何つくってるのか聞いたら、お米とお餅を一緒に揚げたやつがスープの中に入っているような見た事無いけどこ洒落たもので、たまの機会に腕を振るおうとはりきってるようだった
食べてみたら、味はぼんやりしてたけど割においしくて、でもおばあちゃんは、あれをああすればもっとよかった、今回のはあまり良くない、みたいなことを言っていて、私はそんなことないよ美味しいよ、と言った
父はこちらを見ないで新聞を読んでいた
場面がおばあちゃんの家に移って
すごく偉そうな見た事もない親戚の男が何人も、喪服で居間を陣取ってビールやらおつまみやらがやがやと食べていて、その中には、私がさっき崖から海に落ちそうになっていたときに助けるどころか、邪魔をしてきたような中年の男がいて、この野郎の世話するなんて割にあわんと思いながらも、おばあちゃんを中心にして親戚中の女が台所に立って餃子を作ったり、つまみやら飲み物の世話をするのが慣習なので、私も甲斐甲斐しく居間と台所を行ったり来たりしていたと思う
宴会も終盤に近づいて、何人かの喪服の男が家を出る時、私も見送りに玄関に立った
そこで、誰も気づいていないような手紙が一枚、靴箱の上に置いてあるのを見つけて、手に取ってみると
「骨は、返さないで下さい(反骨ジョーク!)」と書かれている
面白いのか意味がよくわからないけど、私の頭には納骨の時、お箸で骨をつかんで、骨壺に入れる風景が浮かんで、それを返さないでくれ、?みたいなブラックジョークかな、落ちがぼんやりしてるけど、とか考える
なんとなく、この手紙はたぶんおばあちゃんが書いたんだろなと一目で分かった
そういえば今まで葬式の宴会をしてたわけだけど、そういえば誰が亡くなったんだっけ、という気づきがそこで初めてあって、私は居間の片付けをしている女の中から、まっすぐにおばあちゃんを見つけて、当たり前みたいに、おばあちゃん死んでるの?と訊ねたら、おばあちゃんは、そうだよ、と言った
おばあちゃんが死んでいたことを、私だけ気づいてなかったみたいで、てゆうか知らないふりしていたみたいで、でも親戚は皆知っていて、今まで皆はおばあちゃんのための宴会をしていたんだと思うと、私は凄く恥ずかしくなった
おばあちゃんはこんなにしっかりと喋っているのに、これが死んでるなら、じゃあ全部これは本当じゃないんだ、とすぐに気づいて、じゃあもうおばあちゃん死んでるんならこれから会えないじゃん、と思って、夢だから、おばあちゃんを抱きしめてみてううううって泣いたら、なんかおばあちゃんドラマのような台詞を言ってた、ごめんねもっとたくさんしてあげたかったんだけどね、みたいな
そんな陳腐なことおばあちゃん言わなそう、でも悲しい、と思ったり、おばあちゃん体細いし小さいな、と思ったり、でもこれもうすぐ、瞬間で終わるな、と分かっていて、でも死んだ人なのに喋ってだきしめてる肉感が本当にあって、これが本当じゃなくなるの本当に悲しい、と思いながらわんわん泣いていて、悲しすぎてもうこれやめたい、と思って、が!っとむりやり目を覚ましたら、私はベッドの中で、依然、夢の中と全く同じ感情を持っていて、それどころか、さっきよりずっとずっとずっと悲しくなって来た。だってもう死んで1年半以上たってるのに、まだこんなに悲しい事が悲しくて悲しくて、泣きまくって頭が痛くなるくらい泣いた。
おばあちゃんが亡くなった去年の夏の感情が、ぜんぜん欠けることなく戻って来たみたいだ!まるでもう一回おばあちゃんが死んでしまったみたい。
なんかやっぱり私だけ、おばあちゃんが死んだのを知らなかったのは本当だと思う。おばあちゃんが死ぬ前の、一週間しか会えなかったからな。おばあちゃんの一番悪い時期は、私は留学させてもらってたから、全然わからないんだよな。死ぬ二週間前まで、私は旅行をしていたし、自分だけ楽しんでたのも今考えるとばかだし、しかも留学前に、わざわざおばあちゃんの家行って、行ってくるね、とか言わなかったんだよな。そうしなよって言われてたのに、ただの怠惰で、それをやらなかった。だから最後に交わした言葉とか全く覚えてない。帰国したらおばあちゃんもう意識ないし、その状態になるまで周りの家族は見守って来たのに、なんかもう私だけ何も知らないんだよね。
20年以上ずっと良くしてくれた人に対して、私は本当に足らない。泣けば良いってもんじゃないけど、泣いちゃう。
自分の好きな人なのに、死んだりするんですよ、この私の好きな人なのに、だよ!そのへんのランダムな人が死ぬのと違うんだよ、私の好きなおばあちゃんが、死ぬ、って、そんな異常なことを、私はよくぞ抱えていると思う。こんなのブログに書くのおかしいかもしれないけど、ほんとに良いおばあちゃんだったんだよ。いっぱい泣いて、今日はもう疲れた。私は泣くとなんて不細工なんだろう。
RANIA『 Dr Feel Good (英語Ver.) 』
ちなみにこれは、下のポストで言及したアメリカの大御所プロデューサーのテディー・ライリーが楽曲提供した、別のKpopグループ。
この子達の事務所は少女時代のとは別。
色んな人の逆鱗に触れそうだけどあえて言うと、
アジア女がアメリカで成功するためには、スラット路線で行くしかないのかよ、と思ったわ、このビデオ見て。はっきり言って。
いや、キュートよりセクシーが圧巻している西洋文化圏で、アジア人がセクシーをやろうとすると、ポジティブなHotの段階を通り越して急にSexual objectそのものになる、というか、そういう力のかかり方があると思う。人の目にかかる力。
なんだろうな、うまくいえないな、違和感。
アジア人はアジア人らしくあれ、とも違うんだよ、私の思っているのは
どうしてもただ、西洋を向いたアジア圏の人間が、手を替え品を替えで西洋圏のポピュラリティを得ようと奮闘しているのに対して、西洋圏の圧倒的な「そのまま」、「着の身着のまま」感でこちら側に乗り込んでくるリラックスさ、これが何かアンフェアなの。
日本国内でのKpopに対する反撥なんか、西洋に対するアジアのstruggleの中で捉えたら、なんかもうアジア内での国の差異なんて無化されちゃうよ。私は少なくともそう見える。
てゆか西洋とアジアってずっと言ってごめんね。ずっと対立させてごめんなさい。
(Source: youtube.com)
少女時代のアメリカデビュー楽曲『The Boys (英語ver.)』
凄いなぁ
これたぶん、韓国の音楽事務所SM entertainment の120%の本気なんだろう。
このトラックのプロデューサーは、テディー・ライリー。アメリカの3大プロデューサーの1人で、マイケル・ジャクソンやガガに楽曲を提供してきたような大物らしい。
MV制作とダンスの振り付けだって、巨額の富を投下しているのに違いない。画面が凄く壮大だもの…!
10年の下積み期間中、アイドル達に宿舎や食事、ダンスと歌、語学のレッスンを提供してきた韓国の音楽事務所が、日本を含むアジアで成功した今、満を持してアメリカ進出!そんな気概が伝わってくる。
「韓国の音楽産業では、1980年代後半から (…) レコード企画会社がビジュアル性の強いミュージシャンを養成する『アイドル・システム』が定着した。攻撃的に新人を発掘し、長期のトレーニングを積ませて、マーケティングを展開し、企画、制作から流通までも包括するトータルエンターテインメント企業が誕生してきいき、いわばその代表格がSMエンターテインメント」(黄 盛彬 2007)
とあるわけで、少女時代の所属事務所であるSMは、韓国政府が斡旋するエンタメ輸出を担う国内最大の企業なのです。
おそらく今のアジア圏のエンタメ業界では、ニッチ産業(北米のライスイーター、イエローフィーバー層、アニメ漫画ヲタ)を狙わずに、正面から非アジア圏に売り込みをかけてるのは韓国の音楽産業だけだろう。
世界進出にあたって、投資されている規模もそのクオリティも、今のアジア圏からは少女時代を越える作品は無いはず。
この作品が、アメリカでどう受け止められて、アメリカ本土でどんな言説がうねりだし始めるのか、または特に何の影響も与えずに終わるのか
私はヒッッッッッッジョーーーーーに楽しみにしています。
アメリカ、カナダは北米といったって韓国系を含めたアジア人種はもの凄く多いし(そもそも少女時代の9人中2人は韓国系アメリカ人だし)、その層からは一定の支持を得られるだろう。
それよりも面白いのは、Kpopのコンテンツが、白人文化圏でのセクシュアリティにどれだけ訴えかけることができるか、という面であって…
古典的なAsian cutenessやAsian superfemininityの規格外な様相をまとって登場する彼女達を、白人文化はどうやって捉えるのかしら….
ちょっと控えめな事しか言えないけど…気になります…
まぁアメリカの投票型勝ち抜きダンスバトル番組で、全員アジア系の男性グループが優勝したり、Far East Movementがアジア系で初めてビルボードチャート1位とったり、メインストリームでもアジア人が食いこみつつあることは確かですが
私の焦点は、西洋圏に入っていくアイドルのアジア臭さを消す技法、またはアジアらしさを強調する技法、そしてそれを取り巻く白人の目の言説です。ついでに、アメリカで成功した韓国アイドルに対して日本人が向ける目。
どんなふうになるのか楽しみ。
はっきりいって、少女時代には北米でも大きな影響力を持って、様々な報道がなされて欲しいです。
しかし表象、表象、表象の応酬で、女の子達が傷つきませんように。
(Source: youtube.com)
私は卒論を書き始めるまで、自分が天皇制についての記述を(多少也とも)するなんて想像もしていなかった。
天皇制については、さまざまな政治思想のひとが侃々諤々の議論で既に大いにやりあっているでしょう。そんな仰々しい制度についてなど、私はぜんぜん興味がないです。
しかし、いくら私の焦点が戦後日本にあっても、世界大戦中の天皇制は、日本のナショナリズムを語る上で絶対に避けて通れない歴史的事象であり!看過することは許されない国民的体験であり!現在の保守言説にも強靭な影響を及ぼす、日本史上最もドラマチックな「大きな物語」であったことを!認めないことには先にすすめない訳です。
(ナショナリズムを調べるにあたり、むろん、保守の言論にも沢山触れた。そこで、「右翼青年」の語彙とその語りというのは、ある一定の人々にとっては抗いがたい吸引力を持つことを知る。「大きな物語」の一部になって、用意された言説を用意された言葉でなぞり、左翼を糾弾し…そこにはある種の高揚と、国体に回収される個の昇華的エクスタシーみたいのがありそうなのです。ちなみに持論だけど、現代ね、政治系の本のタイトルに、ビックリマーク!が付いてたら、それは保守系の言論です。)

天皇制ナショナリズム。はじまりは明治期。
「明治期の日本において西洋化は国民的悲願であった。」
この一文だけで泣けるが、近代国家づくりの過程で、国をまとめあげるナショナリズムは急速に必要とされた。なので明治政府の、「上からの愛国心教育」。
日本ナショナリズムはここが違う。フランス型のナショナリズムなら、市民運動→王権の転覆→民主主義の獲得という順序を踏んで発展したもの。ナショナリズムは、国民解放の道具。
反対に、日本初のナショナリズムは、国家統一の道具として出現する。国体の収斂地点として、急に担ぎ上げられたシンボルが、明治天皇。
わたしは筋肉が好きなので、こう例える。西洋型ナショナリズムは、何世紀にも渡って血を流した結果育まれた、筋トレ筋肉。日本のナショナリズムは、急に必要とされて、天皇制度というドーピングによって急遽こしらえられた、ドーピング筋肉。
ドーピングには、やはり問題がある。
日本は、欧米文明から取り入れた思想、技術、軍隊様式で国力をつける一方で、欧米から国を防衛しなければならない、という矛盾。胸が痛い。
しかしまあ、この思想的ひずみを持ったまま、日本は高度に成長し、列強入り、時は昭和、天皇制ナショナリズムは大東亜帝国を掲げる帝国主義と癒着する事になる。(天皇を頂点、日本国民をその子ども、と捉えた帝国思想から→天皇を頂点、日本国民をその子ども、アジアの民をそのもうちょっと劣った子ども、ととらえた大東亜帝国思想へ。)
一番大事な戦時中のナショナリズムについては、かけない。
それについては、小熊英二の『<民主>と<愛国>』を読めば、もうまるっと雰囲気が分かります。
戦後、マッカーサー登場。
東京裁判を報じる当時の新聞には、「天皇 無罪」の文字。これ初めて見た時、(当時学部1年生)わたしは戦慄した。天皇が裁判にかけられるという発想、新し過ぎる….!
それはそうと、
かつての敵国日本の宗主である天皇を罰しないというGHQの対応に、アメリカ国民は難色を示す。戦時中のアメリカでは、「ドイツのヒトラー、日本の天皇ヒロヒト」という認識だった。
GHQは、日本における天皇の存在を、「アメリカにおけるイエス・キリストと同様である」と本国に説明し、理解を乞う。日本のナショナリズムの強固なバックボーンであった天皇というシンボルは、占領軍の目にも明らかなほど神聖・宗教性をおびる、強大な吸引力を持っていた。この後、天皇は人間宣言。
ところでもちろんですが、GHQが異常に優しかったから、天皇を無罪放免にしたのではない。天皇をアメリカ政権に懐柔することで、日本国民をおとなしく統治したんでしょ。アメリカは、日本の戦後統治を、政治的にすげーうまいことやった。だから原爆落として何十万人死んで、戦後占領して、今も基地があるのにも関わらず、いまの日本はすげーアメリカ好きなんでしょう。だって日本人って、フルボッコにされたアメリカより、自分がフルボッコにした韓国と中国のほうが嫌いなんだよ。
日本とアメリカが歴史上で交差した幾つかの史実と、現在の日本人がアメリカという国に対して持つ「国民感情」。この不均衡は、ほんと凄いですよ。アメリカさんの、戦後日本での立ち回り方は、「本当にうまかった」としか、言いようがない。権力が、権力に見えないんだもの。それが今も、ずっとある。(ところで、日本の主体性は?)
あーね、日本のナショナリズムとか、戦争の話に触れると、心がきゅうきゅうすることがある。日本人は、あの戦争の期間、ある点では決定的に間違っていて、基本的にほとんどいつもださい。どんな権力にも忠実によくなびき(軍部、天皇、マッカーサー、アメリカ軍人)、常に劣等意識に苛まれる。
でも、誰が笑えよう、本に書かれている戦争中の日本のひとは、私と似すぎている。あのときの日本人は、戦争・天皇制に狂喜乱舞した、日本史上にぽつんと突然変異的に現れた狂人集団ではない。昔の人は愚かだったので、戦争をしたそうです、とは到底突き放せない。私はいろいろ、今ね、戦争の事を引き受けなければならないんだろうなぁ、と、心象でいうとそんな風に思っているんです。
どういうポジションをとって、それを「引き受けるか」は分からないけど、やはり右―左のポジション取りを、主張に先行させたくはないね。
天皇制の話だったんだけど
丸山真男は、今から半世紀以上前、「新しいナショナリズムは、旧帝国のそれに匹敵するだけの吸引力を持った新鮮な使命感を鼓舞することに成功しない限り、それは独自の力としての発展を望み得ないだろう」という予言めいた言葉を残している。
予想通り、2011年現在の日本は、世界大戦中のそれに代わるナショナリズムを持ち得ていない。
かつての強大な国家の物語に没入してはロマン主義的情緒に興じる現代人が後を断たないのは、私たちが現代の物語を持っていないことの、まさに証明です。
問いたいのは、懐古的ロマン主義だけがナショナリズムのあり方なのか、ということ。日本のナショナリズムは、天皇制、戦争賛美、アジア嫌悪、ほんとにこれだけ?ナショナリズムは、保守、右翼と呼ばれる思想に占有される、ほんとにそれが限界なの?
そんなかんじのこと。ききたいの。

卒論では、戦後日本のナショナリズムについてやった。
今、それと向き合わなくてはならなくて、数ヶ月ぶりに自分の卒論を精読している。
言葉と情報が酷く足りなくて、でも卒論だから項だけは多くて、何か言いたい事があるのは分かるけど、筆者自身迷いまくっているから、読む人の方が重傷の迷子みたいな。
卒業前に書いた事なんてさっぱり忘れているので、新規読者の気分で読んでみたら、酷いダメージを受けた。
そもそも計量社会学の論文だから、数字ありきなんだけど、私は全然だめだわ、概念と数字と主張がバラバラ。
もったいないので先人の研究と、いくつかのアイディアだけバラバラにとりあげて、ここにゆっくりとアップしていこうと思う。どれだけかかるか分からないけど。

世の中には、二通りの人間がいる
生きるために寝る人間
寝るために生きる人間
写真の女と、私は、明らかに後者である。
彼は大学を出て新卒で入社した企業で働いていた。おもしろいわけではないけれど、がまんできないほどでもない仕事だった。彼には少し前までガールフレンドがいた。これからもきっとできると彼は思っていた。彼には何人かの友だちがいた。社会人になってからは疎遠で、それは当たり前のことのように思われた。彼には故郷があり両親と兄がいた。さほど仲良くはないけれど、何かあったら助けあうはずだった。
彼はだから他の人々と並走していたはずだった。彼は人生のトップのグループにはいなかったけれども、最後尾にもいないはずだった。
でもそうではない、と彼は思った。僕は周回遅れだ。周回遅れのランナーはそのときだけを見たら周りと同じだ。僕は手遅れだ。
彼はその確信を内臓におさめたまま歩いた。電車に乗り駅を降り住み慣れた町を歩いた。そこは物静かな地獄のようだった。そこはいつものとおりだった。彼は生まれてはじめて意図的な死について具体的に想像した。彼はそれによってしかその状態から解放されないかのように思われた。
それで、と誰かが聞くと、そのあとのことはよく覚えていない、と彼は言った。一ヶ月くらいで元に戻ったような気がする。あの帰り道のことを強烈に覚えていて、あとのことはなんとなく霞んでる。
それって一瞬心の病気になったとか、そういうんじゃないの。誰かが言う。そうかもね、と彼はこたえる。でもそうじゃないかもしれない。僕はときどき思う。僕はあのとき僕の周回遅れの証拠をつかんだ。それは必要な認識だった。でも僕はあまりの苦しさにそれを投げ捨てた。だから覚えてない。それが真実なんじゃないかって。
"周回遅れの証拠 - 傘をひらいて、空を (via ginzuna)
(via handa)
ヤル気を出させて「続ける」コツは、脳をだますこと。
やる気の秘密は脳の「淡蒼球」にあり、この球が活性化しているときがやる気が出ている状態。
でも、淡蒼球は自分の意識では動かせない、無意識の部分にある…
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burmilla’s (via TearSong)
Nujabes - Dawn on the Side