Nagizuburogu |
This is Nagi's blog, from Japan. Me: Female/22/Sociology |
ナショナリズムは、いまや政治や国際関係のみを舞台にしてはいない。
それはポピュラーカルチャーの領域にまで、「降りて」きている。
いま、ナショナリズムはアイドルにもパッケージされる時代なのだ。

●50年代から70年代。
Americanizationが世界を圧巻する。
「アメリカ」は、自由と民主主義と富と先端技術の象徴。「アメリカ製品の消費」は、すなわちアメリカのイデオロギー、価値体系、イメージの好意的な受容だった。
横浜米軍キャンプの施設に出入りすることが特権だったような時代である。日本において、マクドナルドでバーガーを食べシェイクを飲むことは、アメリカの精神を受容することだった。アメリカ文化の広まりとその受容は、「アメリカ的である事」への欲望の反映だった。
●80年代から90年代。
Japanizationが囁かれはじめる。
ウォークマンを始めとしたSONY製品、日本車、そして漫画、アニメといった日本製品が世界に浸透し始めた時代。
しかしこれは、「アメリカ化」というイデオロギーが世界に浸透していったプロセスとは決定的に異なった。それは、これらの日本製品が徹底して「文化系に無臭」であったからだ(岩渕功一)。
ウォークマンを使うアメリカ人は、それによって日本を想起しない。ポケモンを観るアメリカの子どもは、それによって日本を想起しない。日本車に乗るアメリカ人は、それによって日本を想起しない。
「日本」という起源に気づかずして、日本製品を消費している状態。それが、「Japanization」だった。(逆に言うと、「日本」という顔のある商品である日本の芸能産業は、非アジア圏では消費されなかった。)
日本企業は、「日本臭さ」を商品から消すことにつとめた。「文化的に無臭である」ことは、すなわちグローバルな受容可能性を意味していたからだ。
●2000年代から現在にかけて。
日本の漫画、アニメなどのポップ文化が海外で静かなブームを巻き起こしているらしいことが、既成事実となる。
後を追うように、日本政府はポピュラーカルチャーの振興政策をとる。これが、「COOL JAPAN」である。
「COOLJAPAN」とは何か。
COOLJAPANとは、日本のポップカルチャー製品の輸出推進による経済政策にとどまらない。
究極的には日本の対外イメージ向上を図る、日本経済政策と文化政策の融合、すなわち「ソフトパワー論」と「イメージ政策」の実践なのだ。
経済産業省2003年度報告書「コンテンツ産業の国際展開と波及効果」に集録された、ある実験がある。
その実験とは、日本文化に接触程度の低い韓国学生を対象として、日本ポップスを一定期間試聴させた結果、対日歴史態度の軟化が証明されたというものだ(秋菊姫)。
すなわち、「日本のポップカルチャーへの接触は、(政治的な単位としての)「日本」への態度を親和的にさせる」という実験結果が出たのである。
必然的に、ポップカルチャーの推進によって日本の政治的立場を優勢にもちこむことができる、という国際政治のリアリズムに結論を結ぶはずである。
COOLJAPAN政策の報告書に、上のデータが盛り込まれていたという事実は、相当怖いことであると思う。個人的に。
簡単に言ってしまえばそれは、J-Popや日本アニメ漫画を外国に浸透させて、過去の歴史を赦してもらおう、それで仲よくやろう、ということでしょ。
ピカチュウと歴史は、別々に処理してください。発想が怖い。
そんな訳で、COOLJAPANの推進によって日本文化の表象の方法も、都会的でモダンなイメージから、伝統文化の表象に転換する。
従って、90年代のJapanizationのような積極的な「文化的無臭性」は放棄される。日本が自身の「クールさ」を発見した途端、ちりばめられるようになった日本伝統文化の記号は数しれない。和服、侍、桜、富士山、酒、日本刀、etc…
COOLJAPANを背負うアクターも続々登場する。サムライチャンプルー、ももいろクローバー、千と千尋の神隠し、ZAZENBOYS、NHK番組CoolJapan…
西洋からの眼差によって獲得された「セルフ・オリエンタリズム」を武器に、「西洋から見られたい日本」を自己演出する。COOLJAPANはそんな営みにも見える。
セルフ・オリエンタリズム含んでいないコンテンツでさえ、日本政府は海外の反応を反映させて、COOLJAPANの印を押すことに勤しんだ。
ハイカルチャーに従属する物されてきたサブカルチャーが、外国で評価された途端に「日本代表」みたいな地位を与えられて。市民レベルの文化的な営みを、せっせと「JAPAN」という国家枠組みに回収することが始まった。
私は、Perfumeやその他アイドルが、COOLJAPANの一部として国家によってナショナルを押し付けられている、という陰謀論を唱えているのではないです。
むしろアイドル産業自らが、もしくはアイドル達自らが、自律的にナショナルを背負いに行っているのが興味深い。
強制はされていない、けれど、進んで国家の一部に回収され、COOLJAPANに加担しにいく。規律権力どうもご苦労様です。
あえての日本臭を醸すプロダクトが、どんどん海外に出て行く。それは別に良い、でも、「JAPAN」をなす記号が、日本の何を代表しているのか、という問題には常に敏感でありたい。
アイヌは、琉球は、在日コリアンは、在日華人は?「JAPAN」というパッケージは、誰を代表=表象しているのか。同時に誰を排除しているのか。記号化、単純化、単一化される過程で、犠牲にしている多様性は何なのか。JAPAN is COOL!と沸き立つ一方で、傍観せざるをえない、日本の人は誰なのか。
結局わたしは政治的に正しいことしか言って無いんだけど、心象のレベルで言ってJAPANCOOLについてはどうもうさん臭さがある。
しかし、アイドル達がナショナリズムを背負って、それをネチズンが後押しする、このナショナリズムのソフトさ。これってちょっと今の時代を象徴するようだよね。
Perfumeと少女時代のyoutubeコメ欄を読んでみて下さいよ。
「やっぱりKpopよりPerfume」「Perfumeも海外進出して欲しい」的なコメントはザラ、そしてgoodを稼ぐコメントは、英語で書かれたもの=「海外からの高評価」コメ。
どうやら、日本=perfume、韓国=少女時代という表象で、あの言説は構成されているらしい。まるで韓国ー日本ー西洋の三つの世界しか無いみたい。
JAPANCOOLと嫌韓流って絶対に繋がってるだろう。
実は、日本のCOOLJAPAN政策の10年以上前に、韓国政府はコンテンツ産業への直接投資を推進してきたわけで、韓流というのも相当ナショナリスティックな営みであることは間違いない。
日本ネチズンの居住区と「ジャパン・クール」がパックされる領域(漫画、アニメ)は大幅にオーバーラップしてるから、日本ネチズンはナショナルな信条にさらわれやすいのは当然といっちゃ当然。その層が、韓流のコンテンツに嫌悪感を示すのも、論理的には全く矛盾のない反応。

だから、上の少女時代のCDジャケットが、日本への侵略という解釈をされたり。ユナの腰元の戦闘機が第2次世界大戦の日本海軍のゼロ戦闘機のトレースだという指摘があったり。ポップカルチャーのプロダクトを捕まえて、ナショナルな言説に還元して、陰謀説を唱えることがどんどん増えていくと思う。真意は知らん。けど、そういう態度がどんどん広まって行くと思う。
もはや、アイドルが「国代表」として表象され、日本頑張れ、韓国頑張れ、という次元になってきている。このナショルの単純化はちょっと怖い。