Nagizuburogu |
This is Nagi's blog, from Japan. Me: Female/22/Sociology |
3月11日の夜は、停電断水状態だった鎌倉の友達が、私の家に避難して来たので、彼女と一緒に私の部屋ですごした。私は眠る事ができなかった。寝ている友達を起こさないように、パソコンを開いて、ネット上に流れてくる地震の写真と動画を見続けた。怖い怖い、悲しい悲しい悲しい、人が死んだ人が死んだ人が死んだ。明日、目がさめたら、きっと皆学校も職場も行かないんだろう、この夜が明けたら、日本はどのように変わっているんだろう。
夜になっても、市の警報は鳴り続けている。 ウーーーーーーーーー 津波警報、津波警報、津波警報…. 怖い。生まれて初めて、海が怖いと思った。
私や、海の地域に住んでる人間には、「海の空間」を身体的に把握している感覚があると思う。こっちのほう、ずっと行けば、海のぽっかりとした空間がある、ということ。なんもない、ひらたい、ごうごうした、自然の空間があるという感覚。(ぜんぜん文字で説明できない。)例えば、市街にでても、山の中に入っても、こっちに行けば、海にたどり着くよ、海がぽっかりあるよという感覚。(説明できない。)とにかく、すごい身体的な感覚で、海の位置を把握している。そこには、良い海がある。好きな、海がある。そういう感覚を、経験的に持ってきた。海の空間を把握する感覚。
だけどこの3月11日の夜は、この感覚が全く変わってしまっていた。海のある、あっちの方向、それがもの凄く怖い。凄く穏やかな顔をして、いままでずっと好きで来たのに、それが今、私を殺すかもしれない。あのテレビで見た津波みたいに、私たちを飲み込んでぶち殺すかもしれない。私の街を、両親を、友達を、殺すのかもしれない。次にどこが揺れるかなんて、誰にも分からない。ここで地震が起こるかもしれない。津波が起こって、私たちを飲み込んで、海の中へさらうかもしれない。海のほうが怖い、あっちの空間が怖い。嫌なものがあるから、あっちの方には行きたくない。海が、こっちに来てほしくない。遠くに行きたい。海とのあいだにもっと距離がほしい。
なんていうか、いままで、20年以上、海のあるところに住んでいて、うっそ今まであんなぱしゃぱしゃ入ったりしてたじゃん、海、入ってたけどさ、急にそんな暴力的になったりする、それって凄い裏切りというか、なんだ、こっちが勝手に愛でていただけか、そうかそうか、人間側の勝手な感情だったか、というかね。無機質な感じをはっきりさせられた気がして。ていうかただ冷酷に、すごい破壊力を持った物が、すぐそばにあって、私はその隣で眠らなきゃいけないのか。これからずっと。それが、ちょっと落ち着かなかった。眠れなかったんです。ちょっと変わってしまった。海こわい。
私のちょっとした、海に対する「感覚の違い」っていうの、今も残っています。
海に対する考え方が、ちょっと変わって来た。ささやかだけど、3月11日がもたらした私の中の変化。
海、今もすごくすきだけど、あれには全能性がある。制御できないような大きな力。それが時として圧倒的な暴力になる。がら、っと一瞬にして変わってしまう瞬間がある。ごめんなさいごめんなさい、と言ってもきいてくれない。いつか、大きな物がやってきて、私たちを全て殺してしまう。今のこの一瞬だって、全能なものが私たちに許した、すきまみたいな時間なのだ。かなわない、圧倒的な存在。
別にこれは、海だけの話でもない。生命全体のメタファ、みたいな。
逃げなくても、いつか、みんな同じところに行くから、どこまで逃げても、同じこと。だから逃げない。
以上が私の地震の日でした。ありがと。